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Yちゃんの覚書

昨日、訃報がとどいた。癌だったらしい。彼女は私と同い年だったとおもう。

卒業後、始めてはいった会社での同僚で同じ部署に配属されて仲よくなった。
あの頃のことはとても遠く感じられて細かなことは覚えてないけれども、仕事
終わりに皆で食事をしにいったり集まっておしゃべりをしたり、そんな「友達」で
あったようにおもう。だが彼女はお隣の県出身だったこともあり、また、遠距離中の
彼との恋愛に忙しく、プライベートまで踏み込むことはなかったので、きっと
「仲間の一人」として親しみを抱いていたのだ。

あちらの訛りを勢いよくユーモラスな声音でしゃべっていたシーンばかりが
思い出される。どんな内容かは思い出せない、だけど、勢いのよさとガハハと
いうような笑い声とスレンダーでひょろりと立つ姿、リーダーを任されたといえば
聞こえがいいが雑用などを丸投げされて困っていた様子、年下の彼への想いを
嬉しそうに話していたこと、お母様の職業、彼が帰省するから結婚することに
なり、私がお祝いの品を代表で買いにいったこと。「ちーちゃん」と呼ぶ声。呼ぶ声。

私は退社し次の会社の場所もこちらへ移り、引っ越し、たぶん彼女も退職し
かっての仕事仲間はバラバラになって、風のうわさで近況を伝え聞く程度と
縁が切れてしまった。きっと、再会しても近況を伝えあうだけで、どこへ遊びに
行くということはない元友達。いや、あのころから一緒に遊ぶようなことはなかったけど
とても楽しかったり、または辛かったり苦しかったりいそがったりした時間を共有
していた。私と彼女と他のメンバーを含むあの集団がただの同僚、だったのかは
よくわからない。

ただ、私は彼女の明るさが好きだった。私では逃げ出してしまうだろう困難のただ
なかにいることを尊敬していた。だから、彼女の人生が13日に終わってしまった
ことをとても悔しくひどく辛くおもう。何年も何年もあっていなかった相手だが、多分
ずっとこれからも、どこかで会うこともなかっただろう彼女なのだけれども、これから
もしかしたらどこかでばったりであって、私をあの時とかわらない声と口調で
「ちーちゃん」と呼んでくれた可能性、それが0になってしまったのが哀しい。

こんな自分本位の哀しさはないだろう。私は彼女のあれからの生活を知らない
から只、思い出を懐かしみ彼女を惜しんでいる。
by lose33 | 2014-05-18 02:52 | つれづれ日常

つれづれと一方通行にて生活内容を発車オーライしております。(管理人いなほ もしくはLF 時に局長)

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